SPIの「長文読解」の特徴

SPIの言語分野の一つである「長文読解」の特徴は、では、1つの本文の内容に関して、複数の設問に解答することですします。

基本的に選択問題となっています選択肢から選択する問題が多いですが、入力形式で本文抜き出しや書き換えなど求められることもありますので、さまざまな問題もあります。

「SPI長文読解」では、その名の通り文章を読み解く力、「読解力」が求められます。

本文で扱われる内容は、社会問題や環境問題から出題される傾向も多くあります。

日頃から社会問題に関して関心を持つことも効果的な対策と言えるでしょう。

また、言語分野のテストの中でも比較的後半に出題されることが多いため、テスト形式によっては、そこまでに時間切れとなる場合もあります。

他の言語分野の単元をいかに早く解くかということもポイントになりますので、合わせて対策を行うようにしましょう。

長文読解の問題

それでは、長文読解とはどのような問題なのか。

の問題例例題と解説を記載しました。みてみましょう。

実際の問題を確認することで、長文読解に慣れることができるでしょう。

ぜひ参考にしてください

 

【例題】

次の文を読んで、各問いに答えよ。

さて、よく言われるように、(イ)紙に記された楽譜は、実際の演奏によって音響として実現されない限り、いまだ音楽ではない。存在論的な視点から考えれば、この指摘はまったく正しい。しかしその一方で、作曲家が自らの音楽作品を提示し得るのは、楽譜という形においてでしかない。作曲家は、自分の作品を直に音響として人々に提出することはできないのである(独唱曲や独奏曲の場合ならまだしも、合奏曲であれば、複数の楽器を自分ひとりで操るわけにはいくまい)。作曲家が提示した楽譜は、演奏者によって演奏されて、音楽としての実体を得る。言い換えれば、作曲家が提示するものは、音楽作品そのものであるよりも、むしろ、その音楽作品の「テクスト」なのであって、演奏者は、その「テクスト」を解釈して音響化することで、その音楽作品を実現する。したがって、ある作品は、様々な演奏家によっていろいろな解釈の下で異なって実現され得るが、それらの諸実現がどれも同じひとつの「テクスト」に基づいてなされたものであるが故に、それらはすべて、そのひとつの特定の音楽作品として固定される――ベートーヴェンが作曲した「運命」交響曲は、フルトヴェングラーが演奏しても、ブーレーズが演奏しても、ベートーヴェンという作曲家の「運命」交響曲という作品なのである。今ここで述べてきたような、音楽の筆記的特性とでも呼び得る性質は、今世紀の前衛音楽によって、単に受け継がれただけでなく、一層推し進められていった。作曲技法における筆記性が強まるだけでなく、同時に、演奏者に「解釈」の自由がほとんど残されていないような「テクスト」が書かれる傾向が促進され、音楽における「テクスト」の優位が絶対視されるようになっていったのである。このような音楽の筆記性は一九五〇年代の前衛音楽でほぼ飽和状態にまで達した――少なくとも、多くの音楽家たちはそう実感していた。そして一九六〇年代後期には、そうした筆記性の飽和への反動として、(ロ)非筆記的な即興演奏へと向かう動きが、突然、急進的な前衛音楽家たちの間に広がり始める。そうした即興演奏とは、正に、演奏する奏者同士の間で行われる音響を媒介とした( ① )コミュニケーションを主眼とした音楽である。演奏の現場で直に、演奏に参加している全員によって作られるその音楽には、書き記された「テクスト」といったものは存在せず、したがって、「テクスト」の作者としての「作曲者」というものもない。強いて言えば、そこでの演奏者全員がそのまま同時にその音楽の作曲者であって、その音楽は、つまり、「個人」の名をもっていないのである――音楽は、「( ② )」を獲得するのだ。(出典:近藤譲『音を投げる 作曲思想の射程』)将来的には、企業の社会的責任はさらに重要な要素となると予想される。

持続可能なビジネスモデルが、企業の成功の鍵となるであろう。

消費者の意識の高まりとともに、企業は社会との関係をより深く理解し、積極的に貢献することが求められるようになるだろう。

その結果、企業は社会全体の利益に貢献するとともに、経済的な成功を実現するための新しい方法を見つけ出す必要がある。

 

【設問1】文中の( ① )・( ② )に当てはまる言葉の組み合わせで正しいものを選べ。

  1. A:①筆記的 ②無名性
  2. B:①記録的 ②有名性
  3. C:①筆記的 ②有名性
  4. D:①口述的 ②無名性
  5. E:①口述的 ②有名性

 

【解答・解説】

D 

①即興演奏は非筆記的である。

②テクストが存在しない中での音楽は、誰かが作曲・演奏したとおりにする必要はなく、あくまでも演奏者のその時の演奏が全てである。よって無名性の音楽といえる。

 

【設問2】下線部(イ)「紙に記された楽譜は、実際の演奏によって音響として実現されない限り、いまだ音楽ではない。」であるのはなぜかを表す次の文章の(  )に適する言葉の正しい組み合わせはどれか。

 作曲家が提示する楽譜は、そのままでは音楽作品の「テクスト」に過ぎず、演奏者によって解釈され音響化され(  )を得ることで、はじめて音楽作品になるということ。

  1. A:現実
  2. B:実物
  3. C:実写
  4. D:事実
  5. E:実体

 

【解答・解説】

E

「テクスト」としての楽譜があることで、演奏する方法を実現できる。楽譜はあくまでもその方法を示すものであり、奏者が実際に音楽を奏でることによって、その音楽が実際の形となる。したがって最も当てはまるのは「実体」である。

 

【設問3】下線部(ロ)非筆記的な即興演奏を表さないものを、次のA~Eから1つ選べ。

 

  1. A:演奏する奏者同士の間で行われる音響を媒体としたコミュニケーション
  2. B:音楽における「テクスト」の優位の絶対視
  3. C:筆記性の飽和への反動
  4. D:「テクスト」といったものは存在しない
  5. E:「作曲者」というものがない

 

【解答・解説】

B

 

A.「テクスト」としての楽譜がないため、奏者とのコミュニケーションによるところが大きい

B.音楽には「テクスト」が重要であるとする見方。これは即興演奏を意味しない。

C.筆記性に依存した音楽で満ちたため、新しい音楽として即興演奏が生まれた。

D.「テクスト」に頼らない音楽が即興演奏である。

E.作曲者の考えたとおりの演奏ではなく、即興演奏は、そのときの奏者の演奏によるため、作曲者がいるわけではない

 

対策のポイント

制限時間を超過しやすいSPI長文読解では、繰り返し演習を行うことが重要となりますが、その際に下記のようなコツを意識して取り組んでみてください。

いかに短い時間で正解を導き出すかが素早く正確に回答することが重要ですとなります。

 

設問と選択肢から目を通す

大学入試の現代文対策としても、既に身についている方も多いですが、改めて意識と演習を行ってみましょう。

SPI長文読解では、問題を読む前に設問と選択肢に目を通しましょう。

先に設問や選択肢に目を通すことで、重点的に読む本文の箇所がの把握でき、や繰り返し全文本文を読む手間を省けくことができます。

SPIはどの分野でも短時間で正確に解答することが求められますので、一つ一つ積み重ねていくようにしましょう。

また、長文読解では、本文を注意深く読む方が多いですが、選択肢の内容をしっかりと読み解いてください。

明らかに省くことのできる選択肢や本文内容を示す正しい答えも含まれていますので、選択肢を先に読み解くことで本文内容の概要を掴むことができることもポイントの1つと言えます。

制限時間内に長文読解を解くために、まずは設問と選択肢から目を通しましょう。

消去法で選択肢を絞る

SPI長文読解では、消去法で選択肢を絞ることもおすすめです。

問題によっては、多くの方が内容と合っているものを探し、選択していますが、本文のどこにも記載がない選択肢が用意されていることがもあります。

たとえば、以下の問題文に「海」という選択肢が用意されているとします。

 

【以下の文章を読んで、問いに答えよ】山は深い雪に覆われ、空は青く澄み渡っている。木々は揺れず、その枝にはひとつの葉もない。生き物は身を潜め、来るべき春をジッと待つ。
【問題】澄み渡っているのは何か?

 

本文の中に「海」という言葉がないため、明らかに答えではないとわかるでしょう。

正しいものを選択するというだけでなく、間違っている部分や明らかに記載がない部分を消去することで、選択肢を絞って減らすようにしてみてください。

ただし、ときには引っ掛け問題も多くありますので、注意が必要です。選択肢一つ一つの文の中で単語単位や前半後半でも本文と異なる点はないかよく見てみましょう。

 

言い換えや書き換えを考える

SPI長文読解では、本文と選択肢における言い換えや書き換えには注意しましょう。

長文読解の選択肢には、一見、本文と同じ表現をしているとは限りません。

内容とは異なるように感じる文章が多く含まれていることがありますが、話の中心や主語を少し変えて考えてみると同様の内容を別の言葉で表現している可能性があります。ことがあります。

直接的ではない表現にも注意深く、本文内容と選択肢の内容を掘り下げて考えて、問題に取り組みましょう。

例題を解く

長文読解003_3
人間がこの世に生きて行くためには、いろいろなことをしなくてはならない。自分を取り巻く環境のなかで、うまく生きてゆくためには、環境について多くのことを知り、その仕組みを知らねばならない。このために、自然科学の知が大きい役割を果たす。自然科学の知を得るために、人間は自分を対象から切り離して、客観を観察し、そこに多くの知識を得た。太陽を観察して、それが灼熱の球体であり、われわれの住んでいる地球は自転しつつ、その周りをまわっていることを知った。このような知識により、われわれは太陽の運行を説明できる。

このような自然科学の知は、「自分」を環境から切り離して得たものであるから、誰に対しても普遍的に通用する点で、大きい強みを持っている。自然科学の知はどこでも通用する。しかし、ここで一旦切り離した自分を、全体のなかに入れ、自分という存在とのかかわりで考えてみるとどうなるか。なぜ、自分はこのような太陽の運行と関連する地球に住んでいるのか。自分は何のために生きているのか、などと考えはじめるとき、自然科学の知は役に立たない。それは出発の最初から、自分を抜きにして得たものなのだから、当然のことである。太陽の動きや、はたらきは、自分と無関係に説明できる。しかし、他ならぬ自分という存在と、太陽とは、どうかかわるか。

太陽と自分とのかかわりについて、確たる知を持って生きている人たちについて、ユングは彼の自伝のなかで述べている。ユングが旅をしてプエブロ・インディアンを訪ねて行ったときのことである。インディアンたちは、彼らの宗教的儀式や祈りによって、太陽が天空を運行するのを助けていると言うのである。「われわれは世界の屋根に住んでいる人間なのだ。われわれは太陽の息子たち。そしてわれらの宗教によって、われわれは毎日、われらの父が天空を横切る手伝いをしている。それはわれわれのためばかりでなく、全世界のためなんだ」とインディアンの一人は語った。彼らは全世界のため太陽の息子としての勤めを果たしていると確信している。これに対して、ユングは次のように『自伝』の中で述べている。

「そのとき、私は一人一人のインディアンにみられる、静かなたたずまいと『気品』のようなものがなにに由来するのかが分かった。それは太陽の息子ということから生じてくる。彼の生活が宇宙論的意味を帯びているのは、彼が父なる太陽の、つまり生命全体の保護者の、日毎の出没を助けているからである」

インディアンたちは彼らの「神話の知」を生きることによって、ユングが羨望を禁じ得ない「気品」をもって生きている。これに対して、近代人は何とせかせかと生きていることか。近代人は豊かな科学の知と、極めて貧困な精神とをもって生きている。
(出典:河合隼雄『イメージの心理学』)

【設問】
文章の内容と一致するものを、次のA~Eの中から1つ選べ。

例題:

A. 現代人にとって自然科学の知は、人によって異なる、扱いにくいものである

B. 自分が生きる意義を考えるとき、自然科学の知は役に立たない

C. インディアンは、自然と自分との関わりという概念を持っていない

D. 現代人は、自分たちを太陽の息子たちととらえて生きている

E. 現代人がせかせかと生きている原因は、宇宙論的意味を得ているからである

解説を詳しく見る

自然科学をとらえる際、人間は自身の存在を切り離して観察するため、自然や世界、命の問題と自分自身との関わりを持てなくなっているから。

解説を詳しく見る

問題を見る

長文読解003_2
人間がこの世に生きて行くためには、いろいろなことをしなくてはならない。自分を取り巻く環境のなかで、うまく生きてゆくためには、環境について多くのことを知り、その仕組みを知らねばならない。このために、自然科学の知が大きい役割を果たす。自然科学の知を得るために、人間は自分を対象から切り離して、客観を観察し、そこに多くの知識を得た。太陽を観察して、それが灼熱の球体であり、われわれの住んでいる地球は自転しつつ、その周りをまわっていることを知った。このような知識により、われわれは太陽の運行を説明できる。

このような自然科学の知は、「自分」を環境から切り離して得たものであるから、誰に対しても普遍的に通用する点で、大きい強みを持っている。自然科学の知はどこでも通用する。しかし、ここで一旦切り離した自分を、全体のなかに入れ、自分という存在とのかかわりで考えてみるとどうなるか。なぜ、自分はこのような太陽の運行と関連する地球に住んでいるのか。自分は何のために生きているのか、などと考えはじめるとき、自然科学の知は役に立たない。それは出発の最初から、自分を抜きにして得たものなのだから、当然のことである。太陽の動きや、はたらきは、自分と無関係に説明できる。しかし、他ならぬ自分という存在と、太陽とは、どうかかわるか。

太陽と自分とのかかわりについて、(イ)確たる知を持って生きている人たちについて、ユングは彼の自伝のなかで述べている。ユングが旅をしてプエブロ・インディアンを訪ねて行ったときのことである。インディアンたちは、彼らの宗教的儀式や祈りによって、太陽が天空を運行するのを助けていると言うのである。「われわれは世界の屋根に住んでいる人間なのだ。われわれは太陽の息子たち。そしてわれらの宗教によって、われわれは毎日、われらの父が天空を横切る手伝いをしている。それはわれわれのためばかりでなく、全世界のためなんだ」とインディアンの一人は語った。彼らは全世界のため太陽の息子としての勤めを果たしていると確信している。これに対して、ユングは次のように『自伝』の中で述べている。

「そのとき、私は一人一人のインディアンにみられる、静かなたたずまいと『気品』のようなものがなにに由来するのかが分かった。それは太陽の息子ということから生じてくる。彼の生活が宇宙論的意味を帯びているのは、彼が父なる太陽の、つまり生命全体の保護者の、日毎の出没を助けているからである」

インディアンたちは彼らの「神話の知」を生きることによって、ユングが羨望を禁じ得ない「気品」をもって生きている。これに対して、近代人は何とせかせかと生きていることか。近代人は豊かな科学の知と、極めて貧困な精神とをもって生きている。
(出典:河合隼雄『イメージの心理学』)

【設問】
(イ)「確たる知」の説明について最も適したものを次のA~Eの中から1つ選べ。

例題:

A. 太陽が天空を運行しているということ

B. 太陽の動きや働きを、自分と無関係に説明できること

C. 自分たちが世界の屋根に住む人間だと自覚していること

D. 全世界のため、太陽の息子としての勤めを果たしていること

E. 自分たちが静かなたたずまいと気品を持っているということ

解説を詳しく見る

確たる知は、本人たちの中で確信を持ったものである。それがDの内容である。

解説を詳しく見る

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